データベースマーケッターがクリエイティブ事業で起業。しかし思うようにいかず辛い日々が続く……
目次
冒頭
今回取材した株式会社BoAは、凸版印刷でデータベースマーケティングに従事していた佐藤翔一氏が立ち上げたベンチャーです。東京・銀座に拠点を置き、企業のデザインや広告制作を受託する事業を行っている。佐藤氏は前職のデータベースマーケティングの経験を生かし、“数学的クリエイティブ”というユニークな切り口で業績を伸ばし、また、就活難に苦しむ学生向けに就活面接の模擬試験がネットで受けられる「模擬面.com」という自社サービスも展開しています。
2011年に個人事業主としてスタートし、半年後に法人化。しかしスタート最初は苦労の連続だったという。斬新なクリエイティブビジネスで起業した、社長1年目の軌跡をご紹介します。
1:Plan 開業前の計画はこうだった
大学時代に友人とフリーペーパーを発行。いずれは起業という夢を実現
起業前、凸版印刷でデータベースマーケティングの部署で働いていました。主にCRMというビジネスを展開していたのですが、極端にいうと、人の感情を数値化する仕事です。
私はバリバリの文系。数字を使う仕事を覚えたのは、凸版印刷に入社してからです。特に某大手自動車メーカーさんとの仕事を通じて、物事を「因数分解」して考えるノウハウが身に付きました。数学は得意じゃなかったのですが、今では当時の経験が大きな自信となっています。
起業しようと思ったのは、学生の頃に友人とフリーペーパーを発行していた経験が原点です。それがとても楽しかったので、いつかは自分のビジネスを立ち上げたいと漠然と思っていました。
具体的なきっかけは、地域活性とか日本酒の普及活動をしている人たちと出会いですね。彼らの情熱に感化されて、自分も何かやろうと決意したのが起業のきっかけです。
個人的に日本の伝統文化に興味があって、また海外にも出てみたいという思いがあったので、外国人の友人が多いのですが、彼らから言われるのは「日本はやっぱりいい国だよね、素晴らしい国だよね」。それで、日本のこと知らないのは恥ずかしいと思って、日本酒とかに興味を持ち始めて、それが縁で日本酒の普及活動にかかわる事になって、それから起業という流れです。
起業するにあたり、まずは自分たちの得意な分野で、と考えました。そこで考えたのが、凸版印刷時代に身につけたマーケティングのスキルを生かした、デザイン・クリエイティブのビジネスです。本当にやりたいことは起業後に見つければいいという感じでした。
自分で言うのもなんですが、凸版印刷時代の仕事を通じて、自信というか、自分はかならず成功すると確信していました。「自分はとても優秀な人間。起業しても絶対成功する」としか思えませんでしたから(笑)。
そして退職後、個人事業主を半年ほどやってから法人化したのですが、事業計画で立てた初年度の目標売上は3000万円。「それくらいはいけるだろう」と軽く考えていたんですよ。
2:Do しかし現実は、実際は・・・
実際の年商は300万円で、目標の10分の1。甘い計画と厳しい現実の間で、精神的にも追い詰められる
しかし、いざ独立してみると、まったく売り上げは伸びず。当時は自意識過剰でちょっと慇懃無礼なところがあり、能力はあっても人として信頼されてなかったのだろうと思います。結果的に1年目の年商は300万円。目標が3000万円ですから10分の1。もちろん、大赤字です。理想と現実のギャップを見せつけられ、非常に苦しいスタートとなりました。
自分と3名のメンバーでスタートしたのですが、彼らの給与を稼ぐために、夜中と午前中はアルバイトをして、午後に会社の仕事をするという生活が続きました。
幸い、デザインやクリエイティブというビジネスは大きな設備投資の必要はありません。起業時にはそれなりの蓄えもあって、1年くらいは何とか生活できる余裕がありましたので、借金の必要はありませんでした。
法人化の際は当時住んでいた目黒の自宅に登記して、仕事に必要な道具もパソコン程度なので、起業準備に使った費用は15万円だけでした。お金を節約すべく、会計はソフトを使って自分で帳簿を付けて、1年目の決算も自分でやりました。蓄えがどんどん減っていくのが本当に怖かったですが、会計ソフトを使って自計化していたからこそ、リアルタイムにお金流れを把握できていたので、最悪の事態は免れたと思います。
設立当初につくった事業計画書を今も持っていますが、見返すたびに、自分の計画が甘かったことを痛感します。未経験ゆえ、受注案件の確度、規模の予測が希望的観測な計画になっていました。
精神論として「目標を高く持つ」必要はあるとは思いますが、しかし、それはあくまで自分ができることを正確に把握した上で行うべきで、自分のできることを100%に設定した時に、110%か150%なのかを見極める必要があります。
あるいは相場観というか、例えばこの記事が掲載される「事業計画作成サホートツール」のように、一般的に考えるとどうなるか、というシミュレーションのもと、ベストシナリオとワーストシナリオは用意しておくべきだと思いました。当時の私は、自分のできることを正確に把握していなかったためベストシナリオのみしか考えておらず、まさに自信過剰、取らぬ狸の皮算用ですね。
3:Check こうしておけば良かった
会社のなかで優秀でも、起業して成功できるとは限らない。マネジメント経験のなさを後悔
1年目の目標に対して、結果はたったの10%程度。この現実を目の当たりにして、翌年度以降は現実的な計画に改め直し、売り上げもそれなりに増えていきました。苦労しながら経験を積めたので現実的な数字が見えるようになったのだと思います。
あと、会社員時代に事業戦略策定やマネジメントのポジションを経験しておくべきだったと後悔してます。
経営をしていて一番難しいというか、壁にぶち当たっているのが、メンバーとの接し方、モチベーションの上げ方、一緒にやっていくメンバーといいチームをつくり上げることなど、人に関する部分がほとんどです。
こうした経験のないまま起業してしまったので、「俺がこういうことやるから、黙ってついてきてくれ」というやり方しか知らないんですよ。
自分が必死に頑張れば確かに仕事は進みますが、それでは個人事業主と変わらない。会社としてきちんと組織化することや、人をマネジメントして大きな仕事、事業をつくり上げるといったことができていません。それが今でも一番大きな悩みですね。
あと、身近に尊敬できる経営者がいることも重要だと思います。いわゆるメンターですね。
私にとってのメンターは、23歳年上で、千葉で事業を手がけている鈴木さんという経営者です。毎週のように鈴木さんと話しをする機会があるのですが、そうした先輩経営者が近くにいるというのは、とても貴重なことだと思っています。
4:Action 俺は一年目をこうして切り抜けた
パートナーが支えで、精神的に乗り越えられた
1年目の非常に苦しい時期、当時付き合っていた彼女が精神的な支えになってくれました。私は自分をとても優秀な人間だと過信していましたが、起業して思うように結果が出ないことで、初めての挫折を目の当たりにしたんですよ。
ある日、溜めていたストレスが爆発し、パートナーに胸の内を打ち明けたら、「もっと正直に、素直になっていいんじゃない?」と言われて……。ぶわっと涙が出て、今までにないくらい大泣きして、それまで我慢していたものがすべて吐き出せた。
それともう一つ、私には大きなコンプレックスがありました。親が破産をしていて、それがとても恥ずかしくて人に言えなかったのです。当時のパートナーとの会話は、自分の甘さや過信がすべて吹っ切れた瞬間でした。
その後、自分の苦しい状況や親の破産のことが素直に人に言えるようになり、とても前向きに頑張れるようになりました。本当に必死になれたんだと思います。それからは自然と業績は上向きに。本当に不思議なものです。
友人が、孫正義さんの後継者発掘・育成・見極めを目的とした学校「ソフトバンクアカデミア」に参加しているのですが、その友人を通じて聞く孫正義さんの話がとても参考になっています。
起業して初めてわかりましたが、経営者はとにかく孤独です。それまでの友人とも話が合わなくなったり、立場が違うので、意見が衝突することもあります。実際、起業時に一緒にやろうとしていた仲間と喧嘩になって物別れになったこともありました。
そうした孤独な環境を乗り越えるためには、とにかく、身近に相談できたり、指導を仰げる人がいることが重要だと思います。
5:メッセージ
「自分でつくる未来」は、楽しく、そして明るい
私は、一度きりの人生を「最高にドラマチックで、楽しいもの」にすると決めています。つらい時もあれば楽しい時もある。その振れ幅が大きいほど、人間として成長していけると考えて信じています。失敗に勝る学びはありません。どんどん汗をかいて必死になって失敗しましょう。失敗から立ち直った時に飲むお酒は、本当においしいですよ。